父はこの商店街の家電店で働いていた。
私は母と父の昼休みや仕事が終わるのを待って
近くの店で一緒に食事をするときが楽しみだった。
神戸で生まれ育った父はちょうど“少年H”と同じ世代。
同じ街で過ごしていたわけだ。
鉄道模型の好きな病弱な人だった。
無口で酒もたばこもやらない人だった。
そして私もずっとこの街で生まれ育った。
高校を卒業し浪人時代を過ごしていたのもこの街で
美術予備校のあった元町からこのセンター街を
ぶらつきながら家路に就いた。
そして東京の大学に入学するために上京する前日も
ここをただぶらついていた。
阪神淡路大震災の前の夜もここをぶらついていた。
次の日からの出来事など何も知らず
ふらふらと歩きまわっていた。
大阪での3年間の疎開生活を終え
神戸に戻ってこられたときもすぐにここをぶらついた。
家族を持って子供が出来てからしばらく
ぶらつかなかった。
でも大きな壁に前を塞がれたとき
やはりここへきていた。
そしてぶらついていた。
ここをぶらつくときいろんなこと
いろんなとき、いろんな人を思い出す。
大事な時間がここにある。